タワー・レコードのドキュメンタリー映画『オール・シングス・マスト・パス』
創業者ラス・ソロモンなど当時の主要人物のインタビューを軸にした、タワー・レコードのドキュメンタリー映画『オール・シングス・マスト・パス』を観た。
”オール・シングス・マスト・パス”と聞いて洋楽ファンがまず思い出すのは、あの有名なジョージ・ハリソンの大ヒットアルバムのタイトル(同名曲も収録)。
映画の中では、ラスト近くにラス・ソロモンが本家タワー・レコードが破産した後日本に来て、渋谷店を訪れる時にこの曲が流れる。
ここはちょっとグッときてしまった。

渋谷店を訪れたラスは喜んでいたようだが、それ以外の感情も当然あっただろうな。
創業者のラス・ソロモンの父が経営する薬局でのレコード・コーナーが原点。
その後ソロモンは父からそこの権利を買い取りレコード・ショップを開設。
その時の名前は、タワー・レコード・マート。
タワー・レコードと改名し、サクラメントの別の場所で始めた1号店は1961年にオープンする。

その後サンフランシスコに大型店舗をオープンさせ、大きな成功が始まる。
従業員たちは自由で楽しい職場だったと言う。
ちなみに僕は過去に10年以上CDショップで働いていて(タワー・レコード程ではないがそこそこ大きかった)バイヤーや店長をしていたけど、そんな感じではなかったぞ。
売上につながらないような曲を店内で流すことはほぼなかったし、毎月の店長会議は地獄のようだった。
音楽に携わっていたところで、所詮数字がすべての商売であることには変わりないのであった。

タワー・レコードが日本に進出するとき、最初は輸入盤の卸業から始めた。
それは今も続いている、多分。
僕もタワー・レコード卸部から当時輸入盤を仕入れていた。

日本に進出したタワー・レコードは見事なまでに、大成功を収める。
90年代には渋谷にビル全フロアを売場とした(ブックスやカフェも含む)、超大規模店をオープン。
あれには驚いた。
初めて行った時は感激した。
しかし慣れてくると、ちょっと大型量販的な作りに物足りなさを感じた。
だが渋谷店の狙いは、それだったのかもしれないし、フラッグ・ショップとしての役割は充分すぎるほど果たしていた。
ただ個人的には、新宿店が好きだったな。
今はよく知らないが、当時のタワー・レコードは店長のカラーが出しやすい仕組みになっていたようで、大阪の店からやってきた店長に変ってからの新宿店はダイナミックな魅力を発信していた。
これら日本での成功に味を占めたか、タワー・レコードはどんどんと世界進出を進めていく。

しかし拡大路線が失敗し、財務状況は悪化していくことになる。
そこに来て、ナップスターの脅威がやってきた。
若者たちは、ファイル共有ソフトを使って、音楽をタダで手に入れる術を覚えた。
それでもまだヒット作などのCDは売れていた。
次に訪れた脅威は、ウォールマートやベストバイなどの大型量販店だった。
彼らはヒット作のCDを、通常より安く売り始めたのである。
客を呼び込む餌としてヒットCDを使ったのだ。
日本だとCDや本には再販制度というものがあり、販売店が自由に価格を設定することが出来ない。
CDの場合は2年間の時限的なものであるが。
僕は文化的な側面からは、この再販制度というのは良いと思っている。
期間の設定というのはありだと思うけど。
だってもし、『鬼滅の刃』を書店とは関係のない量販店が客寄せのために赤字覚悟の販売価格で売りだしたらどうなる?


その結果書店がなくなり、量販店にはベストセラーしか在庫されない。
またその時は、通常の値段で販売されてることだろう。
この考えには批判も多いと思う。
市場原理主義に反するから。
しかしCDが売れている頃、海外では発売されてない作品が日本でのみ発売されているということは割とあった。
なので海外のコレクターが渋谷でCDやレコードを買いあさるという現象も起こった。
今でも、あるんじゃないかなこういうのは。
つまりは、そういうことである。

本格的にCDが売れなくなる前の最後の稼ぎ時も奪われた本家タワー・レコードは、それこそ首が回らない状態となってしまう。
そして資産価値のある、好調な売り上げを続ける日本のタワー・レコードを売却することになる。
2002年のことだ。

ちなみに”No Music No Life”という音楽ファンの心を鷲摑みにするキャッチフレーズは、日本から始まり、後にアメリカでも採用されたもの。
そしてさらに大きな脅威となったのがiTunes Store の登場だった。
今ではその iTunes Storeも、以前ほどの魅力を放っていない。
ストリーミングによる、サブスクリプションというサービスが登場したから。
なので再販制に守られている日本でも今CDは売れない。
”No Music No Life”な僕も、去年買ったCDは3作品だけ。
音楽を聴く人はいっぱいいるけど、音楽を買う人はずいぶん減ってしまったのである。
ライヴに行く人は、増えてるけど(しかし今はコロナ禍でそれもダメだ)。
そしていよいよ2006年12月本家の米タワー・レコードは全店閉鎖となる。

フーファイターズのデイヴ・グロール(exニルヴァーナ)は、来日した際に東京で、無くなったはずのタワーレコードを見つけ感激して店に入った。
「最高だった」と言う。

ご存知のように、日本のタワー・レコードはまだ健在である。
CDはこの先さらに売れなくなるだろう。
今でも売れてるのって、アイドルかアニメに限られるんじゃないかな?
そもそも若い人って、CDプレイヤーもパソコンも持ってなかったりする。
スマホで全てを済まそうとする。
音楽はストリーミングが主流だ。
今後パッケージ販売は、一部の音楽マニアのためだけの存在になるように思う。

以前ならアルバムの何曲目の「○○」という風に言えたけど、今は気に入ったアルバムでもそう言えるのは数曲だけ。
現代のような聴き方だと、どうしてもこうなりがち。
そんな聴き方が幸せなのか?、と考えることもある。
また個人的には、ポップ・ミュージックも遠い将来は、クラシックのように今ある名曲をリアレンジしたカバーが主体になると思っている。
今では当たり前のように使われるサンプリングという手法、その先にはそういう未来があるように思うのだ。
”オール・シングス・マスト・パス”と聞いて洋楽ファンがまず思い出すのは、あの有名なジョージ・ハリソンの大ヒットアルバムのタイトル(同名曲も収録)。
映画の中では、ラスト近くにラス・ソロモンが本家タワー・レコードが破産した後日本に来て、渋谷店を訪れる時にこの曲が流れる。
ここはちょっとグッときてしまった。

渋谷店を訪れたラスは喜んでいたようだが、それ以外の感情も当然あっただろうな。
創業者のラス・ソロモンの父が経営する薬局でのレコード・コーナーが原点。
その後ソロモンは父からそこの権利を買い取りレコード・ショップを開設。
その時の名前は、タワー・レコード・マート。
タワー・レコードと改名し、サクラメントの別の場所で始めた1号店は1961年にオープンする。

その後サンフランシスコに大型店舗をオープンさせ、大きな成功が始まる。
従業員たちは自由で楽しい職場だったと言う。
ちなみに僕は過去に10年以上CDショップで働いていて(タワー・レコード程ではないがそこそこ大きかった)バイヤーや店長をしていたけど、そんな感じではなかったぞ。
売上につながらないような曲を店内で流すことはほぼなかったし、毎月の店長会議は地獄のようだった。
音楽に携わっていたところで、所詮数字がすべての商売であることには変わりないのであった。

タワー・レコードが日本に進出するとき、最初は輸入盤の卸業から始めた。
それは今も続いている、多分。
僕もタワー・レコード卸部から当時輸入盤を仕入れていた。

日本に進出したタワー・レコードは見事なまでに、大成功を収める。
90年代には渋谷にビル全フロアを売場とした(ブックスやカフェも含む)、超大規模店をオープン。
あれには驚いた。
初めて行った時は感激した。
しかし慣れてくると、ちょっと大型量販的な作りに物足りなさを感じた。
だが渋谷店の狙いは、それだったのかもしれないし、フラッグ・ショップとしての役割は充分すぎるほど果たしていた。
ただ個人的には、新宿店が好きだったな。
今はよく知らないが、当時のタワー・レコードは店長のカラーが出しやすい仕組みになっていたようで、大阪の店からやってきた店長に変ってからの新宿店はダイナミックな魅力を発信していた。
これら日本での成功に味を占めたか、タワー・レコードはどんどんと世界進出を進めていく。

しかし拡大路線が失敗し、財務状況は悪化していくことになる。
そこに来て、ナップスターの脅威がやってきた。
若者たちは、ファイル共有ソフトを使って、音楽をタダで手に入れる術を覚えた。
それでもまだヒット作などのCDは売れていた。
次に訪れた脅威は、ウォールマートやベストバイなどの大型量販店だった。
彼らはヒット作のCDを、通常より安く売り始めたのである。
客を呼び込む餌としてヒットCDを使ったのだ。
日本だとCDや本には再販制度というものがあり、販売店が自由に価格を設定することが出来ない。
CDの場合は2年間の時限的なものであるが。
僕は文化的な側面からは、この再販制度というのは良いと思っている。
期間の設定というのはありだと思うけど。
だってもし、『鬼滅の刃』を書店とは関係のない量販店が客寄せのために赤字覚悟の販売価格で売りだしたらどうなる?
その結果書店がなくなり、量販店にはベストセラーしか在庫されない。
またその時は、通常の値段で販売されてることだろう。
この考えには批判も多いと思う。
市場原理主義に反するから。
しかしCDが売れている頃、海外では発売されてない作品が日本でのみ発売されているということは割とあった。
なので海外のコレクターが渋谷でCDやレコードを買いあさるという現象も起こった。
今でも、あるんじゃないかなこういうのは。
つまりは、そういうことである。

本格的にCDが売れなくなる前の最後の稼ぎ時も奪われた本家タワー・レコードは、それこそ首が回らない状態となってしまう。
そして資産価値のある、好調な売り上げを続ける日本のタワー・レコードを売却することになる。
2002年のことだ。

ちなみに”No Music No Life”という音楽ファンの心を鷲摑みにするキャッチフレーズは、日本から始まり、後にアメリカでも採用されたもの。
そしてさらに大きな脅威となったのがiTunes Store の登場だった。
今ではその iTunes Storeも、以前ほどの魅力を放っていない。
ストリーミングによる、サブスクリプションというサービスが登場したから。
なので再販制に守られている日本でも今CDは売れない。
”No Music No Life”な僕も、去年買ったCDは3作品だけ。
音楽を聴く人はいっぱいいるけど、音楽を買う人はずいぶん減ってしまったのである。
ライヴに行く人は、増えてるけど(しかし今はコロナ禍でそれもダメだ)。
そしていよいよ2006年12月本家の米タワー・レコードは全店閉鎖となる。

フーファイターズのデイヴ・グロール(exニルヴァーナ)は、来日した際に東京で、無くなったはずのタワーレコードを見つけ感激して店に入った。
「最高だった」と言う。

ご存知のように、日本のタワー・レコードはまだ健在である。
CDはこの先さらに売れなくなるだろう。
今でも売れてるのって、アイドルかアニメに限られるんじゃないかな?
そもそも若い人って、CDプレイヤーもパソコンも持ってなかったりする。
スマホで全てを済まそうとする。
音楽はストリーミングが主流だ。
今後パッケージ販売は、一部の音楽マニアのためだけの存在になるように思う。

以前ならアルバムの何曲目の「○○」という風に言えたけど、今は気に入ったアルバムでもそう言えるのは数曲だけ。
現代のような聴き方だと、どうしてもこうなりがち。
そんな聴き方が幸せなのか?、と考えることもある。
また個人的には、ポップ・ミュージックも遠い将来は、クラシックのように今ある名曲をリアレンジしたカバーが主体になると思っている。
今では当たり前のように使われるサンプリングという手法、その先にはそういう未来があるように思うのだ。
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