プリンス 1958 - 2016
4月21日、プリンスが自宅兼スタジオの”ペイズリーパーク”で亡くなった。
とても残念な気持ちだ。
作年リリースされた最新作がとても良い作品だったので、せめてもう一度ぐらいライヴを観たかった。。
1981年のローリング・ストーンズ全米ツアーのオープニングアクトとして起用された記事を当時音楽誌で読み、へえ、そうなんだ、と思った記憶があるので、その頃にはプリンスの存在を知っていたことになる。
アルバムでいうと『Controversy』の時期だ。
次作となるアルバム『1999』では「リトリ・レッド・コルベット」がシングルヒットしたからだろう、同曲をMTVなどのビデオクリップを流す音楽番組でよく目にした。
そして1984年、
いよいよアルバム『パープルレイン』がリリースされる。
するとアルバム『パープルレイン』は超特大ヒットとなり、アメリカでは前年のマイケル、ジャクソンと同じような狂騒を生み出す。
しかしその頃、僕にとってプリンスはまだそれほど特別な存在ではなかった。
最初にプリンスから大きな衝撃を受けたのは、MTVで”パープルレイン・ツアー”のライヴ映像を観た時だった。
「ダイ・4・ユー」そしてメドレー的に続けざまにプレイされた「ベイビー・アイム・ア・スター」の映像だった。
その後も、アルバム『パープルレイン』のプロモーションビデオ的にか、MTVで何度も繰り返し放送された。
これがたまらなくカッコ良かった。
ライヴ会場の女性たちの悲鳴のような声援に、当時伝えられていたアメリカでのプリンスの異常なまでの人気ぶりが、本当だったことを知る。
前年のマイケルジャクソンのような人気だという情報に、ホンマかいな?と僕は思ってたから。
マイケル・ジャクソンとは違うタイプの、ハンパない熱量が伝わるダンスにもシビれた。
アルバムからだけでは気づけなかった、プリンスの魅力にたまらなく惹きつけられた。
全米アルバムチャート1位の座をブルース・スプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・USA』から奪い取ると、その後24週にわたり君臨(その内の22週、2位の座にはずっと『ボーン・イン・ザ・USA』が陣取り、その後1位の座を取り返し、これまた延々とその座に君臨した)。
アルバム『パープル・レイン』は全米で1300万枚以上のセールスを記録する。
そして翌年、そんな超メガヒットとなった『パープル・レイン』とはガラッと作風を変えたアルバム『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』を発表。
前作ほどの大ヒットにはならなかったが、そこでプリンスがもはやただの才能豊かで個性的なヒットメイカーではないことに世界中が気づく。
その後さらにその翌年、翌々年と『パレード』、『サイン・オブ・ザ・タイムズ』というそれぞれまたしても作風を変えた大傑作を連発する。
10代後半から20代初頭にかけて、僕はリアルタイムでそんな時代のプリンスの音楽を感じることが出来たことは、とてつもなく幸せなことだったと思う。
それにしても今聴けぽ、驚くほどポップアルバムに聴こえる『サイン・オブ・ザ・タイムズ』。
完成度の高さ(密室性の高さも)は当時も今も変わらず感じるが、あの頃はもう少し難解に聴こえた。
そのイノヴェイティヴな内容にシビれた。
しかし今は、イノベイティヴな部分をそれ程強く感じない。
当時プリンスが発明した革新的だっものを、多くのアーティストが取り入れ多くの作品に散りばめるようになったから、当時革命的で新鮮だったことが今では普通のものとして受け入れられてしまうのだ。
つまりこの事は、プリンスがポップスの枠を広げてきたということである。
だからこそ、彼の死後多くのミュージシャンが彼への賛辞を述べずにいられないのだろう。
「パープル・レイン」を歌うブルース・スプリングスティーン↓
これまで何度かプリンスのライヴに行ったが、1989年大阪城ホールで観た” Lovesexy Tour”のライヴの素晴らしさは今も忘れられない。
最高のライヴだった。
もうプリンスのライヴを観ることはないのだと思うと、喪失感はとても大きい。
とても、とても残念です。
とても残念な気持ちだ。
作年リリースされた最新作がとても良い作品だったので、せめてもう一度ぐらいライヴを観たかった。。
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1981年のローリング・ストーンズ全米ツアーのオープニングアクトとして起用された記事を当時音楽誌で読み、へえ、そうなんだ、と思った記憶があるので、その頃にはプリンスの存在を知っていたことになる。
アルバムでいうと『Controversy』の時期だ。
次作となるアルバム『1999』では「リトリ・レッド・コルベット」がシングルヒットしたからだろう、同曲をMTVなどのビデオクリップを流す音楽番組でよく目にした。
そして1984年、
いよいよアルバム『パープルレイン』がリリースされる。
するとアルバム『パープルレイン』は超特大ヒットとなり、アメリカでは前年のマイケル、ジャクソンと同じような狂騒を生み出す。
しかしその頃、僕にとってプリンスはまだそれほど特別な存在ではなかった。
最初にプリンスから大きな衝撃を受けたのは、MTVで”パープルレイン・ツアー”のライヴ映像を観た時だった。
「ダイ・4・ユー」そしてメドレー的に続けざまにプレイされた「ベイビー・アイム・ア・スター」の映像だった。
その後も、アルバム『パープルレイン』のプロモーションビデオ的にか、MTVで何度も繰り返し放送された。
これがたまらなくカッコ良かった。
ライヴ会場の女性たちの悲鳴のような声援に、当時伝えられていたアメリカでのプリンスの異常なまでの人気ぶりが、本当だったことを知る。
前年のマイケルジャクソンのような人気だという情報に、ホンマかいな?と僕は思ってたから。
マイケル・ジャクソンとは違うタイプの、ハンパない熱量が伝わるダンスにもシビれた。
アルバムからだけでは気づけなかった、プリンスの魅力にたまらなく惹きつけられた。
全米アルバムチャート1位の座をブルース・スプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・USA』から奪い取ると、その後24週にわたり君臨(その内の22週、2位の座にはずっと『ボーン・イン・ザ・USA』が陣取り、その後1位の座を取り返し、これまた延々とその座に君臨した)。
アルバム『パープル・レイン』は全米で1300万枚以上のセールスを記録する。
そして翌年、そんな超メガヒットとなった『パープル・レイン』とはガラッと作風を変えたアルバム『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』を発表。
前作ほどの大ヒットにはならなかったが、そこでプリンスがもはやただの才能豊かで個性的なヒットメイカーではないことに世界中が気づく。
その後さらにその翌年、翌々年と『パレード』、『サイン・オブ・ザ・タイムズ』というそれぞれまたしても作風を変えた大傑作を連発する。
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それにしても今聴けぽ、驚くほどポップアルバムに聴こえる『サイン・オブ・ザ・タイムズ』。
完成度の高さ(密室性の高さも)は当時も今も変わらず感じるが、あの頃はもう少し難解に聴こえた。
そのイノヴェイティヴな内容にシビれた。
しかし今は、イノベイティヴな部分をそれ程強く感じない。
当時プリンスが発明した革新的だっものを、多くのアーティストが取り入れ多くの作品に散りばめるようになったから、当時革命的で新鮮だったことが今では普通のものとして受け入れられてしまうのだ。
つまりこの事は、プリンスがポップスの枠を広げてきたということである。
だからこそ、彼の死後多くのミュージシャンが彼への賛辞を述べずにいられないのだろう。
「パープル・レイン」を歌うブルース・スプリングスティーン↓
これまで何度かプリンスのライヴに行ったが、1989年大阪城ホールで観た” Lovesexy Tour”のライヴの素晴らしさは今も忘れられない。
最高のライヴだった。
もうプリンスのライヴを観ることはないのだと思うと、喪失感はとても大きい。
とても、とても残念です。


この記事へのコメント
80年代に洋楽を聴いていたらプリンスは避けられないですよね。
リアルタイムでプリンスの全盛期を堪能できたことを幸せに感じます。
そう最初はパープルレインをちょっと小馬鹿にしていたんですけど、ある女の子の気を引きたくて貸しレコード屋で借りてテープにダビングしていたらガツンとやられまして、
そこから怒涛のアルバム攻勢に叩きのめされた口です。
私の人生はプリンスと共にあり続けると信じていたのに
ご冥福をお祈りします。
80年代の神懸っていたプリンス、奇跡のようでしたよね。
何度も痺れさせられました。
本当に残念です。
僕は観れなかったことを後悔しているのは、マイケルとデヴィッド・ボウイです。
また解散したバンドではREMもそうです。
時間とお金のないことが恨めしいです。
プリンスほんと残念です。