震災から5年 原発 中筋純写真展
古い友人である中筋純が先日僕らの出身地である和歌山にて写真展を開いたので行ってきた。
展示されている写真は、チェルノブイリや福島で撮られたもの。
高い数値を示すガイガーカウンター。
積み上げられた、放射能などを含む廃棄物。
何年も経った今でも変わらないままのもの。
もちろん変化の様子も収められている。

積み上げられた放射能廃棄物↑

富岡町のショップの中はまだあの時のまま(2015年撮影)↑
切り取られた日常がそこには残っている。
もし僕が編集者なら、これらの雑誌の表紙の人たち全員のコメントを載せた特集をしたい、なんて考えてしまった。
大地震、大きな津波。
僕はあの時大阪の映画館の中にいた。
うん?
揺れてる??
地震かな、とは思ったが、小さな揺れだったので気にすることなく映画を観続けた。
大きな津波に巻き込まれ臨死体験をした女性など、死に取りつかれたかのような登場人物3人の再生の物語を描いた、クリント・イーストウッド監督による作品だった。
津波のシーンが衝撃だったこの映画は、震災後上映が取りやめとなった。
映画を観終わった後、カフェで優雅にコーヒーを飲みながらツイッターで地震の情報に目をやっていた。
事がとても大きなものだということに気づく。
夜になって東京で暮らす友人二人に電話をかけてみる。
だが、繋がらない。
東京は電車が動かないということで大混乱になってるようだった。
通信は繋がりにくくなっているようだが、ツイッターはサクサクと動き、多くの情報が集まっていた。
東北の津波については、映像を見るまではピンと来ていなかった。
まだその時は、原発事故も起こっておらず(もちろん原発内部では崩壊が始まっていたんだろうけど)、僕にとっては東京に住む友人と神奈川に住む弟一家のことしかリアルには気にしていなかった。
弟とはすぐに連絡が取れた。
翌日か、翌々日だったか友人からはメールで知らせが届いた。
その後、福島原発の屋根が飛んだ。
5年前のあの頃をまとめるとこんな感じ。
当事者でない僕は、あっさりとサクサクとこのようなことを書く。
書きながら痛みを感じることもあまりない。
そんな僕でも少なからず持つ想像力が、あの震災の恐ろしさや、その後のあれやこれやへの怒り、やるせなさを感じさせる。
原発は次々と再稼働していく。
何も変わることなく。
まるで何もなかったかのようだ。
原発が動かないと、電力会社がやっていけないらしい。
原発が動かないと、温室効果ガスがたくさん発生して環境に悪いらしい。
原発が動かないと、立地地区の経済は回らないらしい。
原発が動かないと、アメリカが嫌がるらしい。
資源のない国日本で、石油など化石燃料に依存せずエネルギーを確保することはとても重要な課題だと思う。
もちろん原発だってウランは輸入に頼っているのだが、もし核燃料サイクルなんてのが実現したら、政情不安な中東に依存する必要が無くなり、エネルギー確保に関するリスクは減る。
だから原発に夢見る気持ちは理解できる。
とはいえ、高速増殖炉もんじゅがいつまでたってもまともに稼働できない状況下、核燃料リサイクルは現実的ではないという声は大きい。
僕は原発については、開発のための施設、また緊急時の発電施設として一つくらいあってもいいのではと考えている。
原発技術、原子力技術は研究に値するものだと思っているし、発電方法は多様にある方がいい。
しかしそれは、地理的にも施設的にも極めて安全度が高いという場合に限ってだ。
そして何より運営体が信頼に足るところであるというのが絶対条件だと思う。
なので福島の事故後も、頼りなくいい加減な既存の電力会社による再稼働なんて、当然許されるべきではない。
所詮彼らは自分が経営陣として健在の間の成果にしか関心がないのだ。
では電力会社以外に今原発を運営できるところがあるだろうか?
さっぱり思いつかない。
国(政府)?
絶対無理だろう。
危険極まりない。
つまり今、原発は再稼働すべきではないということ、それが僕の考えだ。
ただ原則として原発を否定しようとは、僕には思えない。
安全に動かすことができるなら、それに越したことはない。
そんな事は夢物語なのだろうか?
人間の英知では、原発を操ることは不可能なのだろうか?
原発再稼働を推進する人がよく言う、あれだけ多くの人が交通事故で亡くなっているのに、なぜ原発はダメで車はいいのだ!?
という、物言いがある。
これには僕も同じ思いである。
誰かが原発事故のせいで亡くなったり、その後の人生においてとんでもない困難に直面するのと、自動車事故により亡くなったりその後の人生においてとんでもない困難に直面するのとでは、どちらかに負の面での優位性みたいなものがあるのだろうか。
そんなことはないだろう。
死は、困難は、悲しみや苦しみや絶望は、当人たちを等しく襲うはずだ。
それでも多くの人が、車以上に原発に否定的なのは、ひとたび原発事故が起こると、放射能の被害は甚大であり、地球規模の被害になる可能性があるからだろうか。
期間も相当の長期にわたることは確実である。
可能性は低いかもしれないが、その破壊力はやはり恐ろしい。
またそれに加え、原発の後ろに見え隠れする、一部の人たちに取って都合よく作られた実に下らなくいい加減なシステムに強い嫌悪感を持ってしまうという面も大きいはずだ。
原発が再稼働する。
大きな理由のひとつは、原発立地地区の人々がそれを望むからである。
目の前の経済事情が切迫してきた時、事故が起これば被害はとてつもなく大規模に及ぶとはいえ、自動車事故よりその可能性 は低いのだ、再稼働の選択が避けがたいのは理解できる。
目の前の生活は何よりも優先される。
国は、戦略的にそのような構造を作り上げたのだろう。
そして、それを継続することは容易で、変革することはとてつもなくハードルが高い。
お見事である。
原発漬けですっかり依存症、町は成長する事を忘れ去った。
こんな表現をすれば、非難されるかもしれないが。
そして、そんな田舎町で作られた電力を都会の人達が大量消費する。
契約は成立している。
ある意味Win-Winの契約である。
事故さえ起こらなければ。
川内原発の再稼働に伴う原子力規制委員会の審査の際は免震棟の設置を予定していたのに、審査が通れば、免震棟は作らないと言い出す九州電力。
強い批判を受けたら、もう一度考えると言い出した。
先ごろ汚染された冷却水が漏れだした高浜原発は、その後発送電を開始した途端警報音が鳴り響き緊急自動停止。
プロモーションの為マスコミを呼んでいたのに、とんだ大失態をカメラに収められてしまう関西電力。
原子力規制委員会はテストに合格させながら、その原発が安全だと言わない。
そして、避難計画などの制定に対する責任は、何故か勝手に放棄している。
安倍総理は、そんな原子力規制委員会に責任を押し付けるように、彼らがテストに合格させたからという理由で、原発の再稼働を決める。
避難計画が整備されていないことなどお構いなしに。
震災から5年。
状況は何も変わっていない。
もちろん改善されてる部分がないわけではないだろう。
でもあんな大きな災害が起こったのに、その時の教訓が生かされていない。
相変わらずの縦割り行政。
土建業界に偏ったかのような復興計画。
進まない、緊急災害時の自治体への権限の委譲の法制化。
安全だと思われたものがそうで無くなることがあるということに対する準備。
政治家や中央官庁は、被災地に寄り添うことなく、東京からの仕事で全てまかなえると勘違いしている。
昨夜の朝まで生テレビでは、原発がテーマだった。
その中で、
安全と安心
というのがキーワードとして出てきた。
科学的に安全と言われても安心できない事実。
かぶせるように、原発事故以後、国と科学者への信頼が失われている、という話が出た。
全くその通りだと思う。
国と科学者はそんな現実を自覚し、向き合い、そして行動してほしい。
そうでないと、それが正しい意見だったとしても、僕たちは受け入れられる状態にない。
なんかまとまりのない雑な文章になってしまった。
これが僕の文章力の限界か。。
でも自分の原発に対する考えを、あの事故から約5年となる今、活字として残しておきたいと思うので、このままアップしたいと思います。
中筋純の写真は、原発事故の悲惨さを、強烈な刺激で即効的に訴えかけてくるものではない。
誤解を恐れずに言うならば、彼の写真は穏やかである。
しかし一見穏やかなその写真は、見るものに問いかけてくる、
この写真の向こうに何が見える?
と。
行間を読む、みたいな事を求めてくる、そんな写真なのだ。
それゆえに、見る人によって感じ方はかなり違うんじゃないだろうかと思う。
写真展は、パルテノン多摩市民ギャラリー(東京都多摩市 落合2-35 多摩センター駅徒歩3分)にて
3月16日(水)まで開催。
時間は10時~19時(最終日は17時)までとなっています。
皆様、是非!!
その後、他の地域でも開催予定とのことです。
展示されている写真は、チェルノブイリや福島で撮られたもの。
高い数値を示すガイガーカウンター。
積み上げられた、放射能などを含む廃棄物。
何年も経った今でも変わらないままのもの。
もちろん変化の様子も収められている。

積み上げられた放射能廃棄物↑

富岡町のショップの中はまだあの時のまま(2015年撮影)↑
切り取られた日常がそこには残っている。
もし僕が編集者なら、これらの雑誌の表紙の人たち全員のコメントを載せた特集をしたい、なんて考えてしまった。
大地震、大きな津波。
僕はあの時大阪の映画館の中にいた。
うん?
揺れてる??
地震かな、とは思ったが、小さな揺れだったので気にすることなく映画を観続けた。
大きな津波に巻き込まれ臨死体験をした女性など、死に取りつかれたかのような登場人物3人の再生の物語を描いた、クリント・イーストウッド監督による作品だった。
津波のシーンが衝撃だったこの映画は、震災後上映が取りやめとなった。
映画を観終わった後、カフェで優雅にコーヒーを飲みながらツイッターで地震の情報に目をやっていた。
事がとても大きなものだということに気づく。
夜になって東京で暮らす友人二人に電話をかけてみる。
だが、繋がらない。
東京は電車が動かないということで大混乱になってるようだった。
通信は繋がりにくくなっているようだが、ツイッターはサクサクと動き、多くの情報が集まっていた。
東北の津波については、映像を見るまではピンと来ていなかった。
まだその時は、原発事故も起こっておらず(もちろん原発内部では崩壊が始まっていたんだろうけど)、僕にとっては東京に住む友人と神奈川に住む弟一家のことしかリアルには気にしていなかった。
弟とはすぐに連絡が取れた。
翌日か、翌々日だったか友人からはメールで知らせが届いた。
その後、福島原発の屋根が飛んだ。
5年前のあの頃をまとめるとこんな感じ。
当事者でない僕は、あっさりとサクサクとこのようなことを書く。
書きながら痛みを感じることもあまりない。
そんな僕でも少なからず持つ想像力が、あの震災の恐ろしさや、その後のあれやこれやへの怒り、やるせなさを感じさせる。
原発は次々と再稼働していく。
何も変わることなく。
まるで何もなかったかのようだ。
原発が動かないと、電力会社がやっていけないらしい。
原発が動かないと、温室効果ガスがたくさん発生して環境に悪いらしい。
原発が動かないと、立地地区の経済は回らないらしい。
原発が動かないと、アメリカが嫌がるらしい。
資源のない国日本で、石油など化石燃料に依存せずエネルギーを確保することはとても重要な課題だと思う。
もちろん原発だってウランは輸入に頼っているのだが、もし核燃料サイクルなんてのが実現したら、政情不安な中東に依存する必要が無くなり、エネルギー確保に関するリスクは減る。
だから原発に夢見る気持ちは理解できる。
とはいえ、高速増殖炉もんじゅがいつまでたってもまともに稼働できない状況下、核燃料リサイクルは現実的ではないという声は大きい。
僕は原発については、開発のための施設、また緊急時の発電施設として一つくらいあってもいいのではと考えている。
原発技術、原子力技術は研究に値するものだと思っているし、発電方法は多様にある方がいい。
しかしそれは、地理的にも施設的にも極めて安全度が高いという場合に限ってだ。
そして何より運営体が信頼に足るところであるというのが絶対条件だと思う。
なので福島の事故後も、頼りなくいい加減な既存の電力会社による再稼働なんて、当然許されるべきではない。
所詮彼らは自分が経営陣として健在の間の成果にしか関心がないのだ。
では電力会社以外に今原発を運営できるところがあるだろうか?
さっぱり思いつかない。
国(政府)?
絶対無理だろう。
危険極まりない。
つまり今、原発は再稼働すべきではないということ、それが僕の考えだ。
ただ原則として原発を否定しようとは、僕には思えない。
安全に動かすことができるなら、それに越したことはない。
そんな事は夢物語なのだろうか?
人間の英知では、原発を操ることは不可能なのだろうか?
原発再稼働を推進する人がよく言う、あれだけ多くの人が交通事故で亡くなっているのに、なぜ原発はダメで車はいいのだ!?
という、物言いがある。
これには僕も同じ思いである。
誰かが原発事故のせいで亡くなったり、その後の人生においてとんでもない困難に直面するのと、自動車事故により亡くなったりその後の人生においてとんでもない困難に直面するのとでは、どちらかに負の面での優位性みたいなものがあるのだろうか。
そんなことはないだろう。
死は、困難は、悲しみや苦しみや絶望は、当人たちを等しく襲うはずだ。
それでも多くの人が、車以上に原発に否定的なのは、ひとたび原発事故が起こると、放射能の被害は甚大であり、地球規模の被害になる可能性があるからだろうか。
期間も相当の長期にわたることは確実である。
可能性は低いかもしれないが、その破壊力はやはり恐ろしい。
またそれに加え、原発の後ろに見え隠れする、一部の人たちに取って都合よく作られた実に下らなくいい加減なシステムに強い嫌悪感を持ってしまうという面も大きいはずだ。
原発が再稼働する。
大きな理由のひとつは、原発立地地区の人々がそれを望むからである。
目の前の経済事情が切迫してきた時、事故が起これば被害はとてつもなく大規模に及ぶとはいえ、自動車事故よりその可能性 は低いのだ、再稼働の選択が避けがたいのは理解できる。
目の前の生活は何よりも優先される。
国は、戦略的にそのような構造を作り上げたのだろう。
そして、それを継続することは容易で、変革することはとてつもなくハードルが高い。
お見事である。
原発漬けですっかり依存症、町は成長する事を忘れ去った。
こんな表現をすれば、非難されるかもしれないが。
そして、そんな田舎町で作られた電力を都会の人達が大量消費する。
契約は成立している。
ある意味Win-Winの契約である。
事故さえ起こらなければ。
川内原発の再稼働に伴う原子力規制委員会の審査の際は免震棟の設置を予定していたのに、審査が通れば、免震棟は作らないと言い出す九州電力。
強い批判を受けたら、もう一度考えると言い出した。
先ごろ汚染された冷却水が漏れだした高浜原発は、その後発送電を開始した途端警報音が鳴り響き緊急自動停止。
プロモーションの為マスコミを呼んでいたのに、とんだ大失態をカメラに収められてしまう関西電力。
原子力規制委員会はテストに合格させながら、その原発が安全だと言わない。
そして、避難計画などの制定に対する責任は、何故か勝手に放棄している。
安倍総理は、そんな原子力規制委員会に責任を押し付けるように、彼らがテストに合格させたからという理由で、原発の再稼働を決める。
避難計画が整備されていないことなどお構いなしに。
震災から5年。
状況は何も変わっていない。
もちろん改善されてる部分がないわけではないだろう。
でもあんな大きな災害が起こったのに、その時の教訓が生かされていない。
相変わらずの縦割り行政。
土建業界に偏ったかのような復興計画。
進まない、緊急災害時の自治体への権限の委譲の法制化。
安全だと思われたものがそうで無くなることがあるということに対する準備。
政治家や中央官庁は、被災地に寄り添うことなく、東京からの仕事で全てまかなえると勘違いしている。
昨夜の朝まで生テレビでは、原発がテーマだった。
その中で、
安全と安心
というのがキーワードとして出てきた。
科学的に安全と言われても安心できない事実。
かぶせるように、原発事故以後、国と科学者への信頼が失われている、という話が出た。
全くその通りだと思う。
国と科学者はそんな現実を自覚し、向き合い、そして行動してほしい。
そうでないと、それが正しい意見だったとしても、僕たちは受け入れられる状態にない。
なんかまとまりのない雑な文章になってしまった。
これが僕の文章力の限界か。。
でも自分の原発に対する考えを、あの事故から約5年となる今、活字として残しておきたいと思うので、このままアップしたいと思います。
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中筋純の写真は、原発事故の悲惨さを、強烈な刺激で即効的に訴えかけてくるものではない。
誤解を恐れずに言うならば、彼の写真は穏やかである。
しかし一見穏やかなその写真は、見るものに問いかけてくる、
この写真の向こうに何が見える?
と。
行間を読む、みたいな事を求めてくる、そんな写真なのだ。
それゆえに、見る人によって感じ方はかなり違うんじゃないだろうかと思う。
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写真展は、パルテノン多摩市民ギャラリー(東京都多摩市 落合2-35 多摩センター駅徒歩3分)にて
3月16日(水)まで開催。
時間は10時~19時(最終日は17時)までとなっています。
皆様、是非!!
その後、他の地域でも開催予定とのことです。
この記事へのコメント
何で原発にこだわるのだろう?核を身近に置いておきたいとうことなんでしょうか。
ここで日本という国が原発を止める。再生可能エネルギーに転換するといえば、そこから新たな産業とかが生まれてくるだろし、それを成し遂げた政治家だって後々名を残すことが出来るだろうに、今がチャンスだと思うんですけどねぇ。
新しいエネルギーの開発に大きな力を注ぐべきだと僕も思います。
変革に向かうことが怖いんでしょう。
上手くいくとは限らないので、その気持ちは分かりますが、それなら手堅い方法でも(現実的にはその方がいい)いいので、とりあえずベクトルをそっちに向けてほしいと思います。
でもやらないんだよな~
つまらない人たちなんですよ、政治家も財界人も。